200311

生きることは難しい。

  • こんな気持ちがあなたに伝わりませんように

私には好きな人がいるのだが、好きだから付き合いたいとかでは全然ない。
好きな人から好かれたいとは思うが、そのために自分を曲げてまで相手に好かれたいとは思わない。
 
大体なんだよ「付き合う」って。
 
「好きだ」と思う気持ち自体がその人を自分の都合のいい解釈でしか見ていないのではないかと不安になる。
私が好きだと思っているこの人は本当に存在しているのだろうか。
 
そもそも他人を完璧に理解することなんてできっこないのだから、「本当」なんてものを求めること自体がずれている。
 
好きという気持ちにゴールはない。
目指すべきところがない。
 
おそらく、多くの人間がその気持ちを対象に伝えることをゴールとしている。
ただ、好きな人に好きだと気持ちを伝えることはゴールではない。
 
向こうが自分を好きでいてくれたのであればお互いの「好き」の落としどころを見つけてなんとなくうまくやっていけばいいのだろうけれど、実際、互いが互いに見ているものにあまりに差がありすぎた場合、それはものすごく最悪な感じのことになる。
 
ましてや相手が自分のことを好きじゃない、あるいは嫌いだった場合さらに最悪だ。
好きでもない人からの好意ほど嫌なものってないじゃないですか。
私がまさにそうだから誰かにとって私もそうであるってことが十分に想像できて安易に人に「好きです!」って言いずらいよねって話。
 
私が他者に明示できる好意なんてせいぜい「私は比較的あなたのことを好ましく思っています。」ぐらいが精いっぱいだよ。
 
「大好きです!デートをしましょう!ごはんにいきましょう!私の好きなものをいっぱい教えるからあなたの好きなものもいっぱい教えて!これもあげます!あれもあげます!」
 
みたいなのを相手にぶつけたら迷惑でしょうおそらく。
エゴですよそんなのは。
たまにやりがちだけど。
やったあと自己嫌悪になるけど。
 
漠然と「あぁ~好きだな~好きだけどこの気持ちをどうすればいいんだ~~~」となるしかない。
おばあちゃんの家に行って帰り際食べもしない漬物を山ほど持たされるような思いを好きな人にはしてほしくないんじゃわしは、、、
 
別に見返りが欲しいわけでも何でもないのでこういう迷惑な気持ちというのは秘密にしておいた方がいいしあまり態度に出さないように気を付けたいところではある。
 
世の中で一番怖いのは安易な共感だとか他者と自己との同化だと思うので、簡単にそういうものに呑まれないように、或いはそのことをちゃんと頭の片隅に置いておかなければならない。
 
感覚が似ているものに自分を重ねてはいないか。
他者の感情を横取りしてはいないか。
 
人間関係において私が最も重視しているのは「他者が他者であることを認識する」ことなので、安易に「わかる」とか言いたくないし、でも言っちゃうんだよな「わかる」。
 
なんでみんなうまくやれるんでしょうね。
不思議。
 
  • 愛の才能

一方、私はアイドルを見ながら「アイドルは愛される仕事だなぁ」などと思ったりしている。
アイドルは愛を与える仕事でもあるわけだが、他人からの愛を全力で受け止めなければならない仕事だ。
 
愛される才能がある。
愛される努力をしている。
 
日常生活で好きな人に全力で愛をぶつけることがはばかられる私のような人間がアイドルにハマるのもめちゃくちゃにわかる。
 
アイドルを全力で愛することができるのは距離感が500憶光年ぐらい離れているからだと思う。
絶対に手が届かない対象だから愛が叫べる。
 
もしも仮に職場にアイドルがいたとして、「○○くんはすごいがんばってて、物事に対する考え方とか、書類のまとめかたとか、プレゼンとかとってもすごいと思うし、飲み会幹事もしっかりやっててすごい!カッコいいし尊敬する!あと顔がすごくかっこいい!スーツ姿がセクシーで最高!」とは言えんじゃろ。
 
私にとってアイドルはきっと、「あなたも誰かのことを愛していいんですよ」と予め赦されているような存在なのかもしれないと最近ちょっと思う。
 
そうか、、、これが、、、愛されるよりも愛したい真剣(マジ)でってやつか、、、
 
アイドルとの距離感が500億光年ぐらい離れてるって言ったけど、彼らの音楽に触れるとき、ラジオを聴いているとき、雑誌のインタビューを読む度、そしてライブに行ったとき、確かに何かを共有できているようなそんな気がする。
 
彼らの目指すものと私が願うものが同じだったらいいな。
 
  • 春ねむりさんの配信ライブを観た話

最近、春ねむりさんのラジオを聴いている。

毎週聴いている加藤シゲアキさんのラジオを聴き終わった後、そのままつけっぱなしにしていてたまたま聴いてから日曜日の夜はSORASHIGE BOOKからねむいっす.comの流れが習慣化している。

 

それまで春ねむりさんの名前は聴いたことがあって、ラップをやっているらしいぐらいの薄い情報しか持ち合わせていなかったのだが、ラジオで「ファンファーレ」という曲を聴いて身体が貫かれるような衝撃を受けた。


春ねむり HARU NEMURI「ファンファーレ / Fanfare」(Official Music Video)

 

そんなわけで最近春ねむりさんの曲をよく聴いている。

 

どうしようもない世界で生きていかなければならない中で、「生きづらさや痛みを抱えたままであなたはあなたのままでいいんだ」と肯定してくれているような、決して生温くはない力強い言葉がぐさぐさと刺さってくる。

 

本日開催予定だったライブが中止になってしまったということで、ライブの配信をやってくれていたのだが、本当にその小さな身体のどこからその強い感情が湧いて出てくるんだというほどのパフォーマンスで、誰もいないライブハウスの中、彼女は世界に向かって叫んでいた。

 

その姿はあまりにも荒々しく、とても気高く美しかったので私は画面越しにそれを見ながら泣いてしまった。

 

いつか彼女のライブに行ってみたいと思った。


春ねむり HARU NEMURI「Riot」(Official Music Video)