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嶺亜さんお誕生日おめでとうございます。

ついこの間まで高校生だった嶺亜さんがもう25歳だなんて、、、

アラサーの中村嶺亜の世界に来てしまった。そりゃ私も35になるわ。

私がアラフィフになる頃、嶺亜さんはアラフォーになるのかとか思うと10歳年下という距離が縮まることは決してなくとも広がることもないのだという謎の安心感がありますね。あるか、、、?

 

そんなわけで今日は嶺亜さんの話を延々長々とします。

 

2013年、ゴリゴリの邦楽オルタナティブロックばかり聴いていたかなこさんがひょんなことからNEWSのライブに行くことになり、イッテQを毎週見ていたことで手越担としてジャニヲタの修羅の道を歩み始めたのだがすぐ翌年夜会で酔っ払ってメンバーとグループへの愛を語りながら加藤シゲアキの前で泣きべそをかく小山慶一郎を見て小山担になったというのはかなこさんのことをよくご存知の方なら周知であろう。

 

NEWSのヲタクになった私は手越祐也のことが熱狂的に大好きなジャニーズJr.がいるらしいと知る。

 

それが中村嶺亜だった。

 

当時セクゾのバックにいたり現キンプリのメンバーと同じラインで雑誌に出ていたり、少クラで沢山のJr.がいる中でも真っ白で女の子みたいにかわいくて透明感にあふれスケボーを華麗に乗りこなす嶺亜さんはすぐに見つけることが出来た。

 

その頃からカメラを向けられたときの笑顔や所作やアピールがあまりにも完璧でいつでもお辞儀もとても綺麗で一部では「中村プロ」と称されるほどだった。

 

当時NEWS以外には絶対浮気しないと言っていた(今やどの口でそれを、、、)私でさえ星の数ほどいるジャニーズJr.の中で嶺亜さんは圧倒的に特別であり、ジャニショに行けばNEWS城島茂中村嶺亜の写真は必ず買っていたし雑誌にインタビューが載れば買い少クラの出番があったシーンは全部編集して残していた。

 

ジャニーズJr.は移り変わりが大変激しく、推していた子が急に居なくなることなどザラなため、悲しくなるので手元に残るものを集めたりとか全然したくなかったが、嶺亜さんの写真だけは毎回買っていた

私の中では既に中村嶺亜に対する信頼度が異常に高く、この子は絶対ゆくゆくは天下を取ると思っていたので写真も雑誌もなんのためらいもなく買い集めていた。

 

アイドルの多くは人間味を売りにしている。

ありのままで飾らない姿や努力するがんばりやちょっとダメなとこもある愛嬌を。

 

そんな中で嶺亜さんは明確なビジョンを持ちながら常に「アイドル・中村嶺亜」であろうとしていた。私はそんな部分にこそ中村嶺亜という人の人間味を感じていたしそんな部分が好きだし尊敬していた。

あんなにきゅるんきゅるんでかわいらしいのに負けず嫌いで強い芯を持っている。

そして彼が弱音を吐いているのを見たことがない。

 

当時私はパワハラが横行するような地獄職場にばかりぶち当たっていたのでその度に同じ仕事を1年も続けることができずに転職をしまくっていた。

面接を何度も何度も受けなければならず本当に嫌で嫌で仕方がなかったし、仕事が決まったとしても職場が最悪なので毎朝会社に行くのも本当に嫌で嫌で緊張で吐き気に襲われていた。

 

そんなとき読んだ雑誌のインタビューで嶺亜さんはこう言っていた。

 

みんな「緊張しませんように」って言うけど、オレは緊張してる自分が好きなんだ。あんなに強く心臓が動いてるのを感じる瞬間って、ほかにない!

(duet20152月号)

 

それを読み「そんなふうに考えられるなんて、私よりも10歳も年下のこの子の方がこんなにもしっかりしていて度胸があってポジティブですごい。私もこんな人になりたい。」と思った。

それからというもの、緊張で死にそうなときはいつも嶺亜さんのその言葉を思い出すようにしている。

 

この人の仕事への向き合い方の姿勢や考え方は相当私に影響を与えていると思う。それは自軍から去ったかつての自担だった金髪にも言えることだったが、未だそれを体現し続けているのは中村嶺亜でしかない。

 

でも、同じラインで活躍していた子たちがデビューしたり、いつも一緒に雑誌に載っていた子たちが事務所を去ったり、後輩がユニットを組んだりしている中で少クラに出ることもどんどん少なくなり、雑誌も小さい中綴じページの掲載になってしまった時期は本当に悔しくて仕方なかった。

 

この頃「少クラに中村嶺亜出さないなら受信料返せ!!」が口癖になっていた。

何故事務所は中村嶺亜を推さない!? こんなにかわいくてカッコよくて最高なアイドルほかにいないだろ!?と。

たまに体育会TVに呼ばれたときはうれしかったが。

ただ水泳部の企画飛んだのは未だに納得していない(根に持つ陰湿なヲタク)

 

そんなときふと思った。「この人は本当に大丈夫なのか?」と。

弱音を決して吐かないプロアイドルの中村嶺亜の姿しか私は見たことがなく、また彼自身もそれ以外の姿を見せようとはしないが故にそんな状況で彼のメンタルが心配で仕方なかった。当時はブログもisland TVYoutubeチャンネルもなかった。

 

今思えば美大通ってたから仕事セーブしてたのかもしれない。

 

最近その頃のことについて、日経ヘルスのインタビューで語られていた。

嶺亜さんはファンが心配していることなどお見通しだった。

そして当時はそんな状況の中であっても全く平気だったとも。

 

実際のところはわからない。時間が経ってそんなふうに振り返ることができたのかもしれないし、当時から本当にそう思い続けていたのか。それは本人にしか知りえないことであり、あれこれ考えるのは野暮だろう。

嶺亜さんがそういうのならそうなんでしょう。

嶺亜さんの言うことは絶対なので!!!!!!

 

そのインタビューの中で彼はこう言っている。

 

何も考えてないわけではないですよ。落ち込んで上に行けるなら落ち込むけど、そうしたところで何も変わらないなら、他のことを考えてるってだけ。

 

あまりにもカッコよすぎんか!?!?!?

広辞苑の「かっこいい」のページに「中村嶺亜のこと」って載せておいてほしい。

 

自分の好きなアイドルが美大に進学したと知った時、軽率に「え、好き」ってなった。

前から絵が上手いなとは思っていたけれど、クリエイティブな面をさらに伸ばす方面の進路を選んだというのが。

美大卒ジャニーズ」という肩書きは確かに今仕事に繋がっているのだからすごい。

 

その後2018年の私の誕生日に7 MEN 侍が結成された。

 

好きなアイドルが、私の誕生日に、グループを組んだ、、、

 

最初「なんつーグループ名をつけてくれたんだジャニーさんよぉ~!!」と思ったものだが今はなんの違和感も感じなくなったのですごい。7 MEN 侍、いい名前じゃん。

 

その頃私は転職や自軍の15周年や自担の謹慎やらで情緒がバカになっていたり自軍がドル誌を卒業したりもしたためあまり熱心に7 MEN 侍を追えていたわけではない。少クラは相変わらず編集していたが。

本当にJr.に関しては嶺亜さん以外眼中になかったため、スノストのデビュー発表に対してもあまり感慨がなかった。あれだけ人気と実力があればそりゃデビューしなかったらおかしいだろと思っていた。まぁ後々私は彼らのデビュー前の苦労を知ることになるのだが、、、

 

その間7 MEN 侍はメンバーが減ったり増えたり減ったりしながら現在の6人体制となる。

 

初期の彼らはダンスもスケボーもバンドも出来るが故にグループの方向性が定まっているとは言い難かった。ようやく決まった念願のグループ仕事のCMも関東ローカルだった。おのれ地方の壁、、、

 

世はジャニーズJr.戦国時代、スノストデビューにより状況が激変し、少クラやらMステやらでHi美やトラジャが推されるのを横目に「いや7 MEN 侍をもっと出せよ!! 受信ry(以下略)」という時期が暫く続いた。

 

が。

 

やはりこのグループの今のスタイルを決定的にしたのは矢花黎の加入だった。

この頃から目に見えてグループのセルフプロデュース力の高さがめきめきと現れてくるようになる。

 

Youtubeのスタートにより個々のメンバーの個性や関係性がより明確になりグループとしての解像度が上がった。

 

もうこの頃私は嶺亜さん以外の7 MEN 侍のメンバーのことも結構好きになっていたので克樹の出ていた中居くんの番組を録画して築地魚河岸ジャニーズという弩級の爆弾を食らってしまい、、、それはまた別の話。

 

2020年夏、コロナ禍の真っ只中、配信で行われたサマパラにおけるサムダマ楽器強奪パフォーマンスは最早伝説と言っても過言ではないだろう。


www.youtube.com

 

他にはないバンドという武器を手に、大きく舵を切り唯一無二の衝撃的なパフォーマンスで「ジャニーズJr.の異端児」の肩書きを欲しいままにした7 MEN 侍のそれからの怒涛の快進撃は説明するまでもない。

 

そして途切れることないTV出演や舞台での活躍、ラジオとテレビでのレギュラー決定という今の状況を思うと、本当に中村嶺亜についてきてよかったと思う。

 

ここまで私は中村嶺亜に対する一方的な思い出をダラダラ綴っているわけだが、なんとつい最近まで肉眼で中村嶺亜の姿を見たことがなかった。

単にJr.情報局に入っていなかったことや地方に住んでいることもあり、死ぬほど競争率の高い現場に行く気がしなかったのだ。単にJr.のヲタクは治安がクソ悪いというのもあるが、、、

 

しかし、夏のサマパラ配信で7 MEN 侍のライブが最高であることを知ってしまったことやコンカツの舞台「幸福王子」を見に行ったこともあり、2020年にコロナ禍で中止になってしまった嶺亜さんと大光ちゃんが出演する舞台「SUPERHEROISM」が再演されるタイミングでJr.情報局に入った。

 

が、チケットがご用意されたにもかかわらず、社内方針で緊急事態宣言下に渡航ができなかった。初めて嶺亜さんをこの目で見る機会を失った。

あまりのショックでむしゃくしゃして日にちが被って諦めていた地元開催の野外フェスに行った(最悪社会人)

羊文学もSTUTSOGREも最高だったなぁ〜〜〜〜(血涙)

 

見に行きたかったな。

私は中学生の頃RUN&GUNが好きで宮下雄也くんを推していたので、雄也くんと嶺亜さんが同じステージに立ってるところ本当に見てみたかった。

まぁ雄也くんと嶺亜さんプライベートでもゲームしたり仲良くしてるみたいだからまぁそれはうれしいんですけど。

 

私がBLANKEY JET CITY聴くようになったのは雄也くんの影響なのだが、先日ようやくこの双眸で中村嶺亜さんのその姿を拝むことが叶った舞台「手紙」のパンフレットで嶺亜さんがBLANKEY JET CITYの名前を出していたのを見て、「ま、まさか、、、雄也くん経由で、、、?」となったが、どうなんでしょうね、、、

嶺亜さんのBLANKEY JET CITYについての話、いつかもっと詳しく聴いてみたいものだ、、、

 

嶺亜さんが所属したグループがバンドをやるグループだったことや、嶺亜さんがベース、後にギターを担当することなどファンになった2014年の時点では全く予見していなかったことであり、元々ゴリゴリにロックばかり聴いていた私としてはまさか自分の好きなアイドルがバンドやるとは1mmも想像していなかった。

 

しかも、嶺亜さんは幼少期から車でELLEGARDENを聴いていたというではないか、、、

 

美大にしろベースにしろ好きな音楽の系統やアニメの話にしろ北斗の拳ではサウザー推しなところも妹を溺愛していて妹から溺愛されているところも後からどんどん明らかになる事実があまりにもあまりにも私の癖にぶっ刺さることばかりなので最近だんだん怖くなってきた。なんなんだ、、、

 

最近TV誌のインタビューで春のプレイリストを組むという企画で嶺亜さんがクリープハイプの「イノチミジカシコイセヨオトメ」を選曲していてあまりのことに私は爆発四散した。

この世に「イノチミジカシコイセヨオトメ」を聴いている中村嶺亜が存在する、だと、、、

神よ、、、

私は膝を突き天を仰いだ、、、

 

私は一体今まで中村嶺亜について何を知っていたのだろうか。

 

7 MEN 侍になってからの嶺亜さんはステージで見せる完璧なアイドルスマイルとは全く違う笑い方を見せるようになった。

彼らといるときの嶺亜さんは本当に楽しそうにケタケタ笑う。

悪ふざけしまくってたまに雑でお調子者でドSの小悪魔で、なのにとってもファンとメンバー思いで、、、

 

孤高とも思われるような場所にいた嶺亜さんが今は同じ志を持った5人とともにさらに高い場所を目指している。

 


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昨年のサマステで披露されたうやむやのパフォーマンスのバックで流れている嶺亜さんがイラストを担当した映像に描かれているメンバーの姿は本当に愛に溢れていて、大サビ前の武道館のステージに向かう前の描写はとても涙無しには見れない。

 

あぁ、この人は本当にいい仲間と出会えたんだな、と。

 

今の状況は昔からは想像できないほどとても恵まれていて幸せなんだけど、彼らが目指しているのはもっともっと上だ。これで満足したくないんだよな。

ファンにできることなんてのは本当に無いに等しいのだが、とりあえずどれほど効果があるのかわからないお礼ハガキを地道に出すのは続けていこうかなと思う。

 

嶺亜さん、アイドルでいてくれてありがとう。

いつか絶対武道館行こうな。