壁の星

昨日は本州の七夕だった。

北海道の七夕は8/7なのだが、七夕の記憶があまりない。

小さな頃に玄関先に笹?を刈ってきたんだか買ってきたんだかわからないが、短冊を書いた気がしなくもない。

うちでは七夕はあまり定着していない。

短冊に何を書いたのかは勿論覚えていない。


大体の願い事は叶えた瞬間に「願い事」ではなくってしまう。

叶った願い事を願っていたときのことは思い出せない。

叶ったことすら忘れてしまうかもしれない。


日々何かを願っている。


チケットが当たりますように。

雨が降りませんように。

嫌なことがありませんように。

好きなアイドルに新しい仕事が決まりますように。

今日は残業じゃありませんように。

あの子にいいことがありますように。

またこの場所に来れますように。

etc...etc...


そういうものを叶え続けて、或いは叶わずに、積み上がったものの上に立っている。


昨日、札幌は曇っていて星は出ていなかった。

七夕だしと思い、プラネタリウムを久々につけた。

昔、友人にもらった大人の科学マガジンのやつだ。

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物で溢れた四角い部屋に投影された歪んだ星空は天体の観測という目的を放棄している。

そもそもピンホール式でこれだけの星を投影すると、実際に肉眼で見るよりもはるかに多くの星が映し出されるわけで、そこから星の並びを見出すのは不可能に近い。

本物が見たければやはり「本物」を見た方ががいい。


たとえ存在しない星空によく似たものであっても、それを見て美しいと感じる心だけは本物で、この不完全なプラネタリウムはそういう感性こそを映し出す装置なのかもしれない。